東北大医学部6年間の体験記
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3年生その2 研究室への配属と出会い

3年生後期 熱心な先生との出会いも

3年生後期 研究室への配属

 この当時は、まだ臨床医と研究医とは全く別物だと勘違いしていましたし、入学前に思い描いていた理想の医師像に、患者さんと接する臨床医の姿しか想定していなかったため、この時は研究というものに全く興味がありませんでした。

 感染症系の研究ならなんとなく臨床に近い気がするし、実家のある名古屋の病院の研究室で研究ができるということで、私は名古屋医療センターの研究室に所属し、半年間HIVの研究を行いました。海外の大学で研究を行うこともできるためこのタイミングで留学をする学生も多いですが、私は英語が得意ではないし、ただでさえあまり興味のない研究を慣れない外国でこなす自信がなかったため日本に残ることにしました。

 私がお世話になった研究室には医師が5名、研究員の方が8名程、技師さんが5名、名古屋大学の工学部の学部4年生1人、大学院生3人がいらっしゃいました。

 医師の先生はHIV治療に関する臨床研究を、工学部の学生はウィルスが持つタンパクの構造解析をといった具合に皆各々の研究テーマを持っていて、私にはあるHIV治療薬に対する薬剤耐性についてという研究テーマがあたえられました。

 患者さんの血液からHIVウィルスのDNAを抽出し塩基配列を解析するという作業をこなす中で、基本的な検査の手技を学ぶことができました。しかし、毎日地道な作業の繰り返しですし、苦労して集めたデータもボツになることもよくあり、気が滅入ってしまう時もありました。

ある先生との出会い

 そんな中、せっかく医学部の学生が勉強に来ているのだからと、医師の先生が研究だけではなく臨床の現場にもつれていってくださいました。そこにはHIV患者だけを扱う専門外来や病棟があり、先生の診察やカンファランス(患者の治療方針について意見交換を行う会)の見学をさせていただきました。

 その先生はとても熱心な先生で、熱い指導をしてくださり、当時まだ臨床の勉強は始まっていませんでしたが、そんなことはお構いなしに臨床についての質問や課題がたくさん課されました。臨床の授業はまだだなんて甘えたことを言うな、患者に接するのに必死に努力しないなんて患者に失礼だろ、とごもっともなお叱りを受け、私は毎日がむしゃらに勉強をするようになりました。

 朝の研究室に行く時間はだんだん早くなり、帰りも遅くまで残って勉強をするようになりましたが、いつだってその先生は病院にいて、病棟の仕事と並行して実験をされていました。厳しい先生でしたが、誰よりも努力されているその先生に憧れ、先生のことが大好きになりました。

 そして、先生にくっついて行動し勉強させてもらっていましたが、学生ながらにも先生の知識の深さに気がつき、とにかく圧倒されていました。それは、先生が治療するうえで既存の事実を用いるだけでなく、研究によって自分で考え出したことを実際の臨床現場に活かしているからでした。

 こうやってよりよい治療法が見つかり、そして救える患者が増えるのか、研究とは未来の何万何億という患者の治療に繋がっているのかということを目の当たりにし、研究の素晴らしさに気が付くことができました。
 臨床のスペシャリストになるためには研究は必要不可欠なのだと思い、先生のような医師になるために、将来は絶対に大学院へ行き、学位を取ろうと目標を新たにした瞬間でした。

 単純な私ですから、それからは1μlを扱うような細かい作業も苦にならなくなり、データをせっせと集め、結果をまとめ上げました。そして半年の実習がすべて終わり、大変名残惜しかったのですが、先生とお別れをし、研究室を後にしました。

 東北に戻り半年ぶりに同級生たちと再会して、お互いの研究の成果を発表しあいました。この発表会にて実習は終了し、そして基礎医学の勉強がとりあえずは終わりということになりましたが、基礎研究の魅力に取りつかれた直後だったのでとても寂しい気がしたのを覚えています。

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