家庭教師の仙台ブログ

家庭教師の留学体験記7・高校留学時&大学での英語

 皆様、こんにちは。 「名門進学会」家庭教師・浅野 早織(あさの さおり)の留学体験記、今日はその第7回目です。 ぜひ最後までご覧下さい。

  
  
<この頃の英語>
 小学生の時に、ある程度英語での会話は成り立つようになっていたので、ホームステイ先の家族との意思疎通にはそこまで困ることはありませんでした。

ホストマザーとの会話(イラストで)
  
  
  1. 最初は苦労して 
 とはいえ、高校に通って授業に出たり、テストを受けたりするのは、やはりそれなりに苦労しました。 授業のあと改めて聞き逃したところを友達に聞いたり、先生に質問したりしなくてはいけないところも多くあり、最初のうちは、自信を失う事も多くありました。

  2. 心理学の授業では特に 
 心理学の授業では、課題の文章を時間内に読み、それについてレポートを書くというものがあり、そう言ったものはやはり、周りのネイティブスピーカーの子達とは大きく差が開いてしまい、非常に苦労しました。

  3. 英語力の向上 
 また、小学校の頃は、家族と過ごしている時は日本語を使っていましたが、高校時代にはホームステイで日本語を使う機会が全く無かったため、最初のうちは気の休まる時がなくて、毎日毎日英語を話すことに疲れてしまっていた時もありました。

 でも、そんな中毎日過ごしているうちに、自身の英語能力が徐々に伸びているのが実感できるようになりました。

  4. ホストマザーの助け 
 加えて、私の英語力の向上に非常に助けになってくれたのが、ホストマザーの存在でした。 ホストマザーはおしゃべりが大好きな人で、私の拙い英語にも辛抱強く付き合っていろんな話をしてくれました。

 家にいる時は夕食後ソファに座り毎日、何時間も、何時間も一緒に話してくれましたし、救急隊員として夜勤があるときでも、勤務先から家に電話をかけてくれて色々な話をしました。

  5. ホストマザーとは未だに 
 英語の向上だけでなく、働く女性としてのその考え方や生き方からも多くのことを学ぶことができました。 留学終了後もずっと連絡を取り合っていて、高校卒業時、大学二年の春休みに遊びに行ったぐらい未だに仲が良いです。
 
 私の、医者になりたいという夢もずっと応援してくれていて、医学部に合格した時も、自分の両親に伝えた後すぐに連絡しました。 その時も、本当に自分のことのように喜んでくれて嬉しかったのを覚えています。

医者になる(イメージ)
  
  
  6. 留学で会えるものには出会いも 
 留学で得るものは「英語」や「知識」だけでなく、こう言った「人との出会い」や「繋がり」もあると思います。

 生れた土地も、話す言語も人種も全く違う人間同士が出会って、色々の意見の違いを話し合ったりしながら、絆を深めていくという経験は非常に貴重で、このホストファミリーとの繋がりは、私にとって何にも変えられない大切なものになりました。
 
<高校留学を経て>
 一年の留学を通して、様々貴重な経験をし、素晴らしい出会いもたくさんありました。 また、初めて親元を離れて生活することで、家族の大切さにも気づくことがありました。
 
 英語力に関しては、帰国後には、英検準1級を対策なしで受かるくらいの英語力になっていました。 この英検も、周りに進められてなんとなく受けただけで、自分自身はあまり重きを置いていませんでした。

  英語で伝えられるようになって 
 英検が何級であるかとかテストで何点であるかということよりも。自身の伝えたかったことが伝えられるようになった、前よりも難しい概念の議論が英語で出来た。というような経験が自身にとっては非常に大きく、自信につながりました。
 
<大学入学後>
 大学入学後、しばらくは医学の勉強で精一杯で、2年生時の春休みにホストファミリーに会いに行った以外は、あまり英語を使う機会はありませんでした。(もちろん、洋書を読んだり、洋楽・洋画鑑賞をしたり、英語と触れ合うことは、日常生活の中に組み込まれていました。)

洋書を読む
  
  
  1. 「名門進学会」家庭教師として英語を指導
 大学入学後は、この「名門進学会」の家庭教師として、たくさんの生徒さんの英語の指導に当たってきました。 大学入試時に改めて文法書や参考書を読み、英語をもう一度今までとは違った角度からも勉強していましたが、生徒さんに指導することで、また違った角度から英語を学ぶことができました。

  2. 英語で医学論文を読めて 
 大学入学後、カリキュラムの関係上、海外に行ったりする機会はありませんでしたが、医学に関する論文を英語で読んだりする機会はありました。 多くの最新の論文は英語で書かれており、英語を読むことの抵抗がないことは非常に役に立ちました。

 そして、大学の先輩にアメリカの国家試験の位置にあるUSMLEという試験に合格されたかたがいるというのを聞き、医学英語の取得のためにも、その試験の問題集にも取り掛かるようになりました。

  3. イギリス医学留学に応募しました 
 その頃、イギリスの大学の医学部に短期留学できるプログラムがあり、大学の単位として認めていただけるということだったので、ぜひチャレンジしたいと思い、応募してみました。 今までの留学はアメリカで、旅行ですらヨーロッパは行ったことがなかったので、また一つ自分の価値観が変わるではないかと思いました。

  4. 今回は医学生としての経験も
 また、今回はイギリスの病院で実習をさせていただけるので、医学生としての経験値も得られると思い、何としてでもチャレンジしたいと思っていました。
   


家庭教師の留学体験記6・アメリカの問題&人種差別

 皆様、こんにちは。 「名門進学会」家庭教師・浅野 早織(あさの さおり)の留学体験記、今日はその第6回目です。 ぜひ最後までご覧下さい。

  
  
<人種差別を感じることに>
 小学校時代には、ワシントンDCの近くということもあり、様々な人種の人が行き交うところで生活していましたが、高校時代に過ごしたミズーリ州サリバンという町は非常に田舎で、保守的な地区でした。

ワシントンDC・ホワイトハウス
    
 学校の95%は白人で、残りの5%はヒスパニック系やアジア人でした。 黒人の学生はいませんでした。

  1. 物珍しそうに見られることも 
 そんな土地柄もあってか、アジア人も数が少なく、街を歩いていると物珍しそうに見られることも少なくありませんでした。 アメリカ=多民族国家でどんな人種の人にも比較的慣れていると思っていたため、非常に驚きました。 しかし、これも、アメリカの一部としてあることを体感することができました。

  2. 軒先に南軍の旗を見る 
 街を歩いていると時折、アメリカ連合国旗(南北戦争時代に、アメリカ南部で用いられていた旗)を目にしました。 この旗を家の軒先に掲げているお宅も、見る機会がありました。
 
 この旗を掲げるということは、奴隷制度に賛成していた当時の南部の思想やその歴史に対して、誇りを持っているという事の表れだそうで、こういった方の中には、白人主義者の方や、銃保持の支持者が多いからあまり近寄らないほうがいいとホストマザーが教えてくれました。

  3.人種差別 
 「人種差別」があるという事は理解していましたが、実際、自分自身が直面し、人種差別など感じたのはこの時が初めてでした。 日本にいる時は、自分が日本人であるということを全く感じず(意識せず)に生きていましたが、日本を離れてみて、改めて自分は日本人であると意識するようになりました。

  4. 日本人は嫌いと言われて 
 また、同じ留学生の中に、他のアジアの国から来た子達がたくさんいたのですが、ある子に「私は日本人が大嫌いなの。」と、初めて会った時にはっきり言われたことがありました。
 
 同じ黄色人種であっても、その国のバックグラウンド、教育、思想などでこんな風に、「日本人」であるということに対して、攻撃されることが本当にあるのだなと驚きました。 ましてや、留学をするような、比較的グローバルな感覚を持った子でも、そのように感じている子がいることに本当に驚きました。
 
<アメリカの抱える問題>
 小学生の時の渡米時には幼かったこともあり、感じること・見ることのなかったアメリカが抱える問題も多く目にすることがありました。 先ほどお話しさせて頂いた人種差別も、その一つでした。 他には、ドラッグの問題、銃の問題、医療制度の問題などについても考えさせられることがありました。

銃の問題
  
   
 日本でも最近でこそ、有名人の覚せい剤、ドラッグの逮捕のニュースが飛び交っていたりしていますが、私が高校留学していた時には、そういったニュースを日本で聞くことはあまりありませんでした。

  1. ドラッグの問題 
 しかし、アメリカで生活すると、このドラッグの問題が非常に大きなものであることを感じさせられました。 私が通っていた学校では、定期的にドラッグについての講習があったり、校内のありとあらゆるところにドラッグに手を出さないようにと呼び掛けたポスターなどが貼ってありました。

  2. ホストファザーの息子さんも
 また、ホストファザーの別居していた息子さんは、ドラック中毒になり、その治療中に鬱状態になり自殺されていました。 ドラッグが非常に身近なもので、普通に生活している人でもすぐに手に入ってしまう環境がそこにはありました。

  3. 小学生が
 私が留学中にも、近くの小学校で、小学生が学内で薬物のやりとりをしていた、というニュースがありました。(使用していたのは、本人ではなく、その両親で、やりとりを小学校、小学生である娘・息子を通すことで、発見を免れようとしていたようでした。)

  4. 銃による事件の話も
 日本では考えられないような事柄が起きているのを、目の当たりにしました。 また、救命士であるホストファザー・マザーから日々、銃による事件の話もきく機会がありました。
  


家庭教師の留学体験記5・アメリカでの高校生活「成績優秀者になる」

 皆様、こんにちは。 「名門進学会」家庭教師・浅野 早織(あさの さおり)の留学体験記、今日はその第5回目です。 ぜひ最後までご覧下さい。

  
  
<アメリカでの高校生活>
 高校でも、現地の学校に現地の生徒に混じって授業を受けていました。 化学の暗記知識や数学などは、俄然日本の方が進んだことを行っていたので、多少英語がわからないところがあっても、何の不自由もなくこなすことができました。

数学の講義(イラストで)
    
  1. 討論の授業に苦労 
 しかし、社会系の授業や討論になると非常に苦労しました。 日本の教育は、知識を蓄えること、処理能力を高める教育には非常に長けていますが、自分の意見を人前で発表したり、議論するという機会はあまりないと思います。

 そのため、意見を求められると、どう言った切り口でどう言った言い方をして議論を進めていけばいいかわからず、非常に苦労しました。

討論の授業(イメージ)
  
  
  2. 今まで自分の意見を言う機会がなかったため
 そもそも、自分の意見を言うという機会が今までなかったため、改めて「どう思いますか?」と聞かれると、どうしていいかわかりませんでした。 とっさに言葉として相手に伝わる形で自分の意見を言うことが、自分の想像していた以上に難しいことだと感じました。

 また、会話としてではなく、発表や大勢の人の前で話す英語は今まであまり意識して学んでいなかったので、言い回しなどがわからず最初は苦労しました。

  3. シェイクスピアなども読みました 
 そして、英語の授業では、シェイクスピアの原著を読んだりもしました。古典英語で書かれており、今使われている英語とは異なるもので、非常に興味深かったです。

シェイクスピアの生家
  
  
 また、図書館の本にはそれぞれ点数がついており、その本を読み、パソコンでその本に関する試験を受けるとその本についた点数が、英語の成績に追加されるという制度がありました。

 テストだけでなく、本人の意欲を評価するシステムとして成り立っており、生徒に読書の習慣をつける試みとしても素敵なシステムだと感じました。

  4. 卒業パーティ 
 アメリカの高校では、2ヶ月に1回ほど授業後にイベントがあり、それらも非常に面白かったです。 卒業式シーズン(6月ごろ)にはプロムと呼ばれる卒業バーティがあり、その時には皆、ドレスを着て髪もセットし、リムジンで移動してパーティに出ていました。

パーティの料理
  
  
     貴重な経験に
 日本にはない華やかなイベントで、私自身も参加して非常に楽しめましたし、貴重な経験になりました。 学校のホールにDJを呼びライトアップされた会場で友人たちと騒いだのは本当に面白かったですし、いかにもアメリカの高校生生活!といったものが体験できて楽しかったです。

  5. 読み書き・発表に苦労
 もちろん、楽しいことばかりではありませんでした。 授業についていくのも、やはりネイティブの子たちのようには行かず、課題の本を読んだりレポートを書いたりするには非常に苦労しましたし、英語で自分の意見を言ったり、大勢の人の前で話すのは非常に大変でした。

  6. それでも成績優秀者になりました 
 でも、本当に多くの人に支えられながら日々の勉強をこなし、1年終わる頃には、その年の成績優秀者の一員として表彰されることができました。

 そこからも、留学生という枠でだけの扱いではなく、1人の学生としてきちんと扱ってもらえる、外国人であっても、英語が母国語でなくても、努力したことがきちんと評価されるシステムがあるということが実感できました。

  7. 能力ある人が評価される社会
 こう言った姿勢が教育の時点からあるからこそ、どんなバックグラウンドの人でも努力をして、能力があれば評価されるという社会の流れが作られているのだなと感じました。 また、そのことが、1年間頑張った自分に取っても大きな自信になりました。
 


家庭教師の留学体験記2・小4アメリカ2「友だちが出来た!」

 皆様、こんにちは。 「名門進学会」家庭教師・浅野 早織(あさの さおり)の留学体験記、今日はその第2回目です。 ぜひ最後までご覧下さい。

 

<妹は英語が話せるようになったのに>
 そして、何よりもショックだったのは、自分はこんなに辛いのに4つ下の妹は早々と新しい環境に慣れ、毎日を楽しんでいたことでした。

 4つ下の妹は、キンダーガートンと呼ばれる小学一年生の前の段階の学年で、同じ敷地内の建物に通っており、授業も午前中のみ、しかもまだ幼いので、授業の内容もお遊戯のようなものが大半でした。

アメリカ・自由の女神
    
 私のように授業ではない分、言葉がわからなくても何とかなる部分が多かったとは思うのですが、それ以上に、まだ幼く、柔軟性がある妹は、あっという間に英語を身につけてしまい、毎日楽しそうに生活をしていました。

   1. 英語を学ぶのは早い方が良い
 いつも自分が世話を焼いてあげている妹が毎日楽しそうに英語を話していて、なんだかすごく自分が情けなくなり余計に辛かったのを覚えています。  不思議なもので、妹は気づくといきなり英語を話すようになっていました。

 今でもその時のことを両親が「学校初日に帰ってくるなり、いきなり英語の文章がポンポン出てくるから驚いた。」と言っています。 よく、英語を学ぶのは、早ければ早い方がいいというのは、こういう点から言うのではないかと思います。

英語を学ぶのは早い方が良い
    
   2. 少しは英語が分かるようになり友達もできて
 そんなこんなで毎日泣きながら通っているうちに、少しずつ人が何を言っているのかわかるようになってきました。

 この時、参考書や辞書なんかで勉強する余裕はなく、ただただ毎日その日を過ごすので一杯一杯だったのですが、何となく「この言葉は、こんな意味なのだろう。」と理解できるようになってきました。 状況と周りの雰囲気などから、少しずつ言葉の雰囲気、音に慣れていくようになりました。

   3. 大きな出会いがありました 
 また、この時期に大きな出会いがありました。 今でも忘れられないのですが、とっても優しい黒人の女の子でダニエルという名前の子が、日々途方に暮れている私を見てかわいそうに思ったのか、休み時間に一緒に遊ぼうと声をかけてくれたのでした。

   4. 大の仲良しに
 その日から、彼女は私と休み時間一緒に遊んでくれたり、授業の時も色々手助けをしてくれたりし、気づくと大の仲良しになっていました。 辛かった学校がすこしずつ楽しくなっていくにつれて、英語もメキメキと上達して、気づくと、その仲良しの女の子と長電話をするくらいになっていました。

   5. 必死で伝えようとするうちに 
 誰かに何かを伝えたい。 一緒に楽しいことを共有したいという気持ちが、人前に出て間違った英語で恥ずかしい思いをするのを恐れることよりはるかに上回り、むちゃくちゃでも必死に伝えようとするようになりました。 そうしているうちに、気づけば、自然と言葉が出てくるようになっていました。

<英語は世界を広げる最高の道具>
 渡米して六ヶ月経つ頃には、学校でも問題なく生活することができるようになっていました。 学校が終わってからは、ダニエルと一緒に大好きなTV番組を見たり、長電話をしたりして過ごしました。 何もかもが本当に楽しかったのを、覚えています。

英語が楽しくなって
  
  
   1. 自分が当たり前だと思っていたものが
 彼女が私の家に来た時に、日本から持ってきたものや、日本の文化一個一個に驚いてくれたのを見て、自分が当たり前だと思っていたものがこんなにも誰かを感動させるものになるのだということに非常に驚きました。

   2. いろいろな国々出身の友人ができて 
 またこの頃には、私と同じように母国語が英語でない生徒さんが学校に他にたくさんいて、その子達やそのご家族と仲良くなり、一緒に過ごすことも多くなりました。

 ポーランド、ロシア、アフリカなど多くの国の出身のファミリーと一緒にアウトドアを楽しみながら、祖国について教えていただいて学んだり逆に日本文化を紹介したりしました。

 ここで、様々な文化に触れ、様々な考え方を知り、幼いながらに、今まで自分の知っていた世界はあくまで、一部分で、自分の知らない世界がこんなにもたくさんあるのだということを知りました。 

   3. 英語は最高のツール 
 また、そういった世界を知るのに「英語」は最高のツールだということを感じました。 「英語」を通して、今まで知らなかったものにアクセスできる、全く自分とは接点のなかった世界と接点を持つことができるという事を実感し、これだけはきちんと身につけていきたいと心に決めました。
  


家庭教師の留学体験記1・小4アメリカ「家族で転居」

 皆様、こんにちは。 「名門進学会」家庭教師・浅野 早織(あさの さおり)の留学体験記、今日は初回です。 ぜひ最後までご覧下さい。



<前書き>
 皆さんは、「留学」と聞くとどのような印象を受けるでしょうか?

 「かっこいい」「楽しそう」と感じる人もいるでしょうし、「ちょっとハードル高いなあ。」と感じたり、逆に「ちょっとした旅行みたいなもんでしょ。」と感じたりする人もいるかもしれません。 中には、「留学したなんて人、エリートぶって何か嫌。」なんて人もいるかもしれません。

  私の経験をお話しします  
 私は、これまでに複数回留学・海外滞在を経験しました。 私が実際に経験した事を基に、「留学ってどんな感じなのか。」という事をお話しします。

留学先へ
    
 あくまで私個人の経験からお話しさせて頂くので、同じように留学された方でも人それぞれまた違った意見があると思います。 ですから、1つの例として読み、何かの参考にして頂ければ幸いです。
  
 <小4の時アメリカに行くことに>
 私が小学4年生の頃、父が仕事の関係で1年間アメリカに行くことが決まりました。 もちろん、最初、家族は、父だけが単身赴任をするものだと思っていました。

アメリカ・ニューヨーク
  
  
   1. 家族で移り住むことにした 
 正直、その時の事をよく覚えていないのですが、私がそのアメリカへついて行きたいと父に言ったようで、それを聞いた父がこれはもしかしたら子供にとっていい経験になるかもしれないと、思い切って家族で一年移り住むことにしたそうです。

   2. 無鉄砲な自分にびっくり 
 元々読書が大好きで、本で読んだ海外の文化や海外の偉人の本を読んで、自分の住む世界の外に強い憧れはあったのですが、小学生でまともに英語の勉強もしたことがないのに、ただ「面白そう」という思いだけでアメリカについていくと言った無鉄砲な自分にびっくりしてしまいます。

   3. これがその後の人生の指針に 
 そう言っても、この時の純粋に「行ってみたい」という気持ちが、この先自分の人生の大切な指針になっていくとは思ってもみませんでした。

 また、今思うとこの時両親は私の知らないところで、非常に勇気を思って私を連れて行く決断をしていたのだと思います。 また、子供を連れていくことで、大変なことも、経済的負担からくる苦労もたくさんあったと思います。

   4. 両親に感謝
 この時、私の行きたいという気持ちと、もしかするといい経験になるかもしれない、と考えてくれた両親には、感謝してもしきれません。
 
 <初の海外での生活>
 こうして、英語も全く話せないのに、意気揚々と憧れのアメリカで生活することになりました。 とはいえ、義務教育中ですので、学校に通わなくてはいけません。 そこで現地の学校に転校することになりました。
     
 学校に通い始めてみると、何もわからず、「なぜ自分は、こんなところに来ると言ったんだろう。」と何回も後悔し、毎日泣いていました。

   1. 英語の準備はできずに 
 英語は日本にいる間、ほとんど準備することができなかったので、学校初日には「私は日本から来たばかりで、英語は話せません。」・「トイレに行きたいです。」・「帰りの通学バスの番号は〇〇です。」と書いたカードを持って登校しました。

アメリカのバスの例
  
   
 日本から来たのだから、みんな私が英語できないのを分かった上で色々なことが進められる、と甘えたことを考えていたのですが、実際はそんなことはなく、当たり前のように他の生徒と同じように授業を受けることになりました。

   2. 最初は途方に暮れて 
 初日には、今何の授業をやっているのかもわからないまま1日が過ぎて行きました。 下校の時間には、校内に通学バスが到着すると放送でそのバスの番号が呼び上げられるのですが、その番号が読み上げられるのをひどく緊張しながら聞いていたのを今でも覚えています。

   3. 最初の3か月は 
 学校に通い始めてからの3ヶ月は本当に辛く、毎朝登校する前に大泣きしてから通学バスに乗っていました。 周りの人が笑っていても、何がおもしろいのかわからない。 次にしなくてはいけないことが何なのか、全く理解できない。 など、とにかく毎日途方に暮れていました。
 


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